人生をハードボイルドに生きるブログ
出世街道
企業のなかで出世するには二通りの道がある。
ひとつは、力がある上司に貢献しながらついていく道。
もうひとつは、有無を言わせぬ専門能力によって誰が見てもその分野の第一人者だと認められ、それなりに処遇されるようになる道。
どちらも結局は、権力者に、そばにいて欲しい、こいつに任せたい、と思われるのがコツ。
どうもそんな気がする。
人間関係は重要だ。人間性や信頼感は、やはり問われる。
だが、どうやら、「私はついていきます」という忠誠の姿勢を貫くだけでは出世しづらくなってきたように思う。
最近、企業で出世街道に乗るひとに共通するのは、「優れた表現力」である。
これは、まちがいない。
イントラネットに、すごい情報が載せられると、一気に全国に知れ渡るようになった。
また、企業にとって大事な情報を独り占めするのは罪だ、という認識が広がった。
だから、自分が知らせなくとも、誰かが知らせてくれる。知らせた人も評価される。
表現力があれば、当然、情報は、価値ある情報になりやすい。
そして、価値ある情報がどこまでも届きやすくなったのである。
予想外のことが次々と起きる現代は、リスクを負って新しいことを仕掛けないと会社に貢献することができない。実態にあった提案には、いっけん過激な現状否定の要素が盛り込まれることもある。
過激に見えることを、まともなことなのだと示せる力こそ、もっとも必要になったのだと思う。
たとえば、イントラネットに書き込むときの一本のタイトルが、大切な最新の現場情報を多くのひとに伝え、過激で、まともな提案の中身を多くのひとに知らせ、説得する力になる。
おっ、と思わせる過激さがなければ、情報は目に留まらない。
しかし、表現力が伴わなければ、まともなことが伝わらず、過激なだけで終わってしまう。
表現力によって「こいつの仕事は面白い」「こいつの提案は無視できない」と思われるようになった人物が発信する情報は、いつも期待され、どんどん影響力が高まっている。
ネット上に流れるテキストの表現、添付ファイルの中身の表現が、その人のブランドをつくっているといえる。
いま、企業のトップたちは、会社の方針に反しても結果を出していく実力派社員を積極的に評価する。そうしないと、トップとしての責任を果たせないからだ。
出世街道の有り様は、ずいぶん変わってきたように思う。
いっぽう、出世とは何なのかも、あいまいになってきている。
忙しすぎず余裕をもって人生を楽しめる状況こそ理想の姿と考え、それを実現した人をかっこいいと思う人は増えている。
人生もクルマも、渋滞が好きなひとはいないだろう。
誰でも、争いなくスムースに、行けるところまで行きたいものだ。
だが、わざわざ走りやすいと思った道を選んでも、ダメなときはある。
行ってみると、事故があったり、工事で2車線の道が1車線になっていたりする。交通情報をチェックしてから出発しても、状況は変わる。結局は行ってみないとわからない。
その夜が、そうだった。
すっと抜けて、その先を突っ走れるはずの交差点を、渡ってみたら工事中・・・
本を読むわけにもいかないからラジオでも聴くか、と思ったが、もうすでに聴いていることに気づいて、情けなく道端に視線をやった。
路面のボコボコしたアスファルトに光が当たっている。
味も素っ気もない風景が、前のクルマが少し動くたびに、ゆっくりと切り替わる。
汚らしい中央分離帯に、黄色い花が咲いていた。
すぐ脇には、黄色い回転灯と、黄色いペンキが半分はげた誘導用の矢印の看板が置かれている。
黄色の友だち同士が集まっている。
こいつは物語じゃないか、とカメラをとりだすと、渋滞は、楽しめるものに変わっていた。

ひとつは、力がある上司に貢献しながらついていく道。
もうひとつは、有無を言わせぬ専門能力によって誰が見てもその分野の第一人者だと認められ、それなりに処遇されるようになる道。
どちらも結局は、権力者に、そばにいて欲しい、こいつに任せたい、と思われるのがコツ。
どうもそんな気がする。
人間関係は重要だ。人間性や信頼感は、やはり問われる。
だが、どうやら、「私はついていきます」という忠誠の姿勢を貫くだけでは出世しづらくなってきたように思う。
最近、企業で出世街道に乗るひとに共通するのは、「優れた表現力」である。
これは、まちがいない。
イントラネットに、すごい情報が載せられると、一気に全国に知れ渡るようになった。
また、企業にとって大事な情報を独り占めするのは罪だ、という認識が広がった。
だから、自分が知らせなくとも、誰かが知らせてくれる。知らせた人も評価される。
表現力があれば、当然、情報は、価値ある情報になりやすい。
そして、価値ある情報がどこまでも届きやすくなったのである。
予想外のことが次々と起きる現代は、リスクを負って新しいことを仕掛けないと会社に貢献することができない。実態にあった提案には、いっけん過激な現状否定の要素が盛り込まれることもある。
過激に見えることを、まともなことなのだと示せる力こそ、もっとも必要になったのだと思う。
たとえば、イントラネットに書き込むときの一本のタイトルが、大切な最新の現場情報を多くのひとに伝え、過激で、まともな提案の中身を多くのひとに知らせ、説得する力になる。
おっ、と思わせる過激さがなければ、情報は目に留まらない。
しかし、表現力が伴わなければ、まともなことが伝わらず、過激なだけで終わってしまう。
表現力によって「こいつの仕事は面白い」「こいつの提案は無視できない」と思われるようになった人物が発信する情報は、いつも期待され、どんどん影響力が高まっている。
ネット上に流れるテキストの表現、添付ファイルの中身の表現が、その人のブランドをつくっているといえる。
いま、企業のトップたちは、会社の方針に反しても結果を出していく実力派社員を積極的に評価する。そうしないと、トップとしての責任を果たせないからだ。
出世街道の有り様は、ずいぶん変わってきたように思う。
いっぽう、出世とは何なのかも、あいまいになってきている。
忙しすぎず余裕をもって人生を楽しめる状況こそ理想の姿と考え、それを実現した人をかっこいいと思う人は増えている。
人生もクルマも、渋滞が好きなひとはいないだろう。
誰でも、争いなくスムースに、行けるところまで行きたいものだ。
だが、わざわざ走りやすいと思った道を選んでも、ダメなときはある。
行ってみると、事故があったり、工事で2車線の道が1車線になっていたりする。交通情報をチェックしてから出発しても、状況は変わる。結局は行ってみないとわからない。
その夜が、そうだった。
すっと抜けて、その先を突っ走れるはずの交差点を、渡ってみたら工事中・・・
本を読むわけにもいかないからラジオでも聴くか、と思ったが、もうすでに聴いていることに気づいて、情けなく道端に視線をやった。
路面のボコボコしたアスファルトに光が当たっている。
味も素っ気もない風景が、前のクルマが少し動くたびに、ゆっくりと切り替わる。
汚らしい中央分離帯に、黄色い花が咲いていた。
すぐ脇には、黄色い回転灯と、黄色いペンキが半分はげた誘導用の矢印の看板が置かれている。
黄色の友だち同士が集まっている。
こいつは物語じゃないか、とカメラをとりだすと、渋滞は、楽しめるものに変わっていた。

堂本さん 渋く味わいのあるコメントありがとうございます。
表現力は、とにかく出す、ということも大事なんですが、私の方は、最近、ブログをサボっていまして、しばらく出世はのぞめないかもしれません・・・。
また、近く発信しますので、気が向いたらのぞきにきてみてください。
表現力は、とにかく出す、ということも大事なんですが、私の方は、最近、ブログをサボっていまして、しばらく出世はのぞめないかもしれません・・・。
また、近く発信しますので、気が向いたらのぞきにきてみてください。
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希望が膨らむと同時に不安もよぎった。
自分にもチャンスがあると一瞬ゾクッとしながら、
そんな表現力が自分にあったかと冷静に思い直しもしたから。
沁みる話のあとに「黄色の友達同士」ときた。
いやー、いいですね。