ハードボイルドとは何か
様々なハードボイルド小説を読むにつれ、ハードボイルドの意味するところは、辞書の定義をはるかに超えた魅力的で深いものだと、私はしだいに思うようになってきた。
いまでは、ハードボイルドは、ビジネス社会を生き抜くプロフェッショナルにとって、非常に大切な「持つべきマインド」なのではないか、とさえ思っている。
ハードボイルドをいくつかの辞書で引いてみると・・・
【hard-boiled】
冷酷非情な現実を感情を交えずに簡潔な文体で描こうとする創作手法。第一次大戦後のアメリカ文学に表れ、ヘミングウェーをその先駆とする。
(明鏡国語辞典)
などと書かれている。
どの辞書でも似たり寄ったりだ。
もはやこれは、ハードボイルドの一面を表す説明に過ぎないと私は思う。

ハードボイルド小説に登場する主人公は、強いこだわりを持って自分の意思を貫き、心も身体も傷つき、たとえ命が失われそうになっても、それを曲げようとはしない。
どこかに独りよがりがあるかもしれない。
しかし、社会や組織のゆがみや悪のパワーゲームによって生まれる人間の精神的な危機に、主人公は立ち向かっていく。ときには蟻一匹が巨象に立ち向かうように。
彼らは、自分の愛する女とか、友達とか、社会的にスポイルされてしまった弱者とか、昔ほんの一度だけ自分に希望を与えてくれた仕事仲間のために最大限の自己犠牲をはらって、一見無駄な闘いを挑む。
だから、独りよがりのようだが、結果的には独りよがりとはいえない。いや、むしろ社会への貢献、あるいは誰か特定の人間への愛や貢献があるようにも見える。
見返りは求めない。命すら捨てていいと思っている。
そして、誰にも知られなくてもいいと思っている。
ハードボイルドを書く小説家たちは、主人公のキャラクターを、そういうふうに描いている。そのことが、ただ文体の問題ではなく、ハードボイルドに新しい意味と文化をもたらしていると、そう私は思う。
これは、チャンドラーでも、北方謙三でも、志水辰夫でも同じだ。
ゴルゴ13だって、報酬はいつも高額で前払いと決まっているはずなのに、自分の琴線に触れた時は、たとえ安物の宝石1個が報酬でも命をかけて最高の仕事をやってしまうという意味では同じだ。
そこには、武士道に似た精神があると、私は思う。
じっさいに、やったことを言えば褒められるのに言わないでいるヤツはいる。
そういうヤツには男の匂いがするが、女でもいる。そういう女はしびれるけどね。
誰にも褒められなくとも、自分が自信を持ってやるべきことをやったと思える。そしてそれは、結局、「世のため人のため」につながると信じられる。
こういうマインドを持つことができれば、どんな場面でも迷いがなくなり、心が落ち着き、自分をコントロールできる。日々精進することによろこびが生まれ、健康で長くプロとしての道を歩き続けることもできる。
そして、結局は道が開け、認められ、人に褒められるようにもなる。
プロフェッショナルの持つべきマインドは、ハードボイルドに通じるよなあ・・・。
そう思っていたら、ひとつの言葉にぶつかった。
--------
自然は立派やね。わたしは日記をつけておるけれども、何月何日に花が咲いた、何月何日に虫が鳴いた、ほとんど違わない。規則正しい。
そういうのが法だ。
法にかなったのが大自然だ。法にかなっておる。だから、自然の法則をまねて人間が暮らす。
人間の欲望に従っては、迷いの世界だ。
真理を黙って実行するというのが大自然だ。
誰に褒められるということも思わんし、これだけのことをしたらこれだけの報酬がもらえるということもない。
時がきたならば、ちゃんと花が咲き、そして、黙って、褒められても褒められんでも、すべきことをして黙って去っていく。
そういうのが実行であり、教えであり、真理だ。
(永平寺第78世貫首 宮崎奕保禅師)
---------
かっこいい。
これこそハードボイルドだ。
ハードボイルドは禅の思想の中にもあったのだ。
(この言葉は、4年前に放送されたNHKスペシャル「104歳の禅師」のなかで語られた言葉。宮崎禅師は、今年の1月5日、満106歳の人生を閉じられた。104歳というのは数え年だったようだ。)
いまでは、ハードボイルドは、ビジネス社会を生き抜くプロフェッショナルにとって、非常に大切な「持つべきマインド」なのではないか、とさえ思っている。
ハードボイルドをいくつかの辞書で引いてみると・・・
【hard-boiled】
冷酷非情な現実を感情を交えずに簡潔な文体で描こうとする創作手法。第一次大戦後のアメリカ文学に表れ、ヘミングウェーをその先駆とする。
(明鏡国語辞典)
などと書かれている。
どの辞書でも似たり寄ったりだ。
もはやこれは、ハードボイルドの一面を表す説明に過ぎないと私は思う。

ハードボイルド小説に登場する主人公は、強いこだわりを持って自分の意思を貫き、心も身体も傷つき、たとえ命が失われそうになっても、それを曲げようとはしない。
どこかに独りよがりがあるかもしれない。
しかし、社会や組織のゆがみや悪のパワーゲームによって生まれる人間の精神的な危機に、主人公は立ち向かっていく。ときには蟻一匹が巨象に立ち向かうように。
彼らは、自分の愛する女とか、友達とか、社会的にスポイルされてしまった弱者とか、昔ほんの一度だけ自分に希望を与えてくれた仕事仲間のために最大限の自己犠牲をはらって、一見無駄な闘いを挑む。
だから、独りよがりのようだが、結果的には独りよがりとはいえない。いや、むしろ社会への貢献、あるいは誰か特定の人間への愛や貢献があるようにも見える。
見返りは求めない。命すら捨てていいと思っている。
そして、誰にも知られなくてもいいと思っている。
ハードボイルドを書く小説家たちは、主人公のキャラクターを、そういうふうに描いている。そのことが、ただ文体の問題ではなく、ハードボイルドに新しい意味と文化をもたらしていると、そう私は思う。
これは、チャンドラーでも、北方謙三でも、志水辰夫でも同じだ。
ゴルゴ13だって、報酬はいつも高額で前払いと決まっているはずなのに、自分の琴線に触れた時は、たとえ安物の宝石1個が報酬でも命をかけて最高の仕事をやってしまうという意味では同じだ。
そこには、武士道に似た精神があると、私は思う。
じっさいに、やったことを言えば褒められるのに言わないでいるヤツはいる。
そういうヤツには男の匂いがするが、女でもいる。そういう女はしびれるけどね。
誰にも褒められなくとも、自分が自信を持ってやるべきことをやったと思える。そしてそれは、結局、「世のため人のため」につながると信じられる。
こういうマインドを持つことができれば、どんな場面でも迷いがなくなり、心が落ち着き、自分をコントロールできる。日々精進することによろこびが生まれ、健康で長くプロとしての道を歩き続けることもできる。
そして、結局は道が開け、認められ、人に褒められるようにもなる。
プロフェッショナルの持つべきマインドは、ハードボイルドに通じるよなあ・・・。
そう思っていたら、ひとつの言葉にぶつかった。
--------
自然は立派やね。わたしは日記をつけておるけれども、何月何日に花が咲いた、何月何日に虫が鳴いた、ほとんど違わない。規則正しい。
そういうのが法だ。
法にかなったのが大自然だ。法にかなっておる。だから、自然の法則をまねて人間が暮らす。
人間の欲望に従っては、迷いの世界だ。
真理を黙って実行するというのが大自然だ。
誰に褒められるということも思わんし、これだけのことをしたらこれだけの報酬がもらえるということもない。
時がきたならば、ちゃんと花が咲き、そして、黙って、褒められても褒められんでも、すべきことをして黙って去っていく。
そういうのが実行であり、教えであり、真理だ。
(永平寺第78世貫首 宮崎奕保禅師)
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かっこいい。
これこそハードボイルドだ。
ハードボイルドは禅の思想の中にもあったのだ。
(この言葉は、4年前に放送されたNHKスペシャル「104歳の禅師」のなかで語られた言葉。宮崎禅師は、今年の1月5日、満106歳の人生を閉じられた。104歳というのは数え年だったようだ。)


(私がPCにかけているセキュリティのせいなのか・・・)
仕方ないので、キャラではありませんが、コメントさせていただきます。
私は、「プロフェッショナル」という番組が好きでよく見るのですが、プロの仕事ぶりや姿勢に心打たれることが多いです。
確かに、プロと呼ばれる人にはハードボイルドという言葉が似合うかもしれない。
私自身、とにかくこれを「成功させたい!」とか「完成させたい!」といった思いの強い責任重大な仕事に取り組んでいるときは、
あまり雑念も浮かばず集中して、やるべきことに没頭しているのですが、それ以外の時って「褒められたい」って気持ちがけっこうあるのを感じます。だって、褒められると嬉しいもの♪
・・・というわけで、ハードボイルドには程遠い感じです。
宮崎禅師の言葉は心に響きました。
ただ、自分にとっての真理とは何だろう・・・と考えると答えに詰まってしまいます。
『時がきたならば、ちゃんと花が咲き、そして、黙って、褒められても褒められんでも、すべきことをして黙って去っていく。そういうのが実行であり、教えであり、真理だ。』
この言葉を心に留めておけば、いつか答えが見えてくるかもしれませんね。
「自分のすべきこと」に気づくことがスタートになるのかもしれないし。
いいお話をありがとうございました。